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2011年8月18日

陸前高田から(1)

陸前高田の学童クラブへ保育支援ボランティアをしてきました。

ここの学童クラブは、小学校の空き教室を改築して実施されていました。

写真は、その学校のグラウンドの上から見える光景です。他の子が、それぞれに遊んでいる自由時間、高学年の女の子たちが、この光景をグラウンドの縁に座ってずうっと眺めていたのでした。

以前の街の姿を知らない僕も絶句するような光景。彼女たちは、何を話していたんだろう。


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2011年8月16日

ひさしぶりのブログは、岩手は一ノ関駅から

ひさしぶりのブログは、岩手の一ノ関駅から。
明日、陸前高田の学童クラブへ保育支援ボランティアに行くため、電車を待っている。一人で、45分の電車待ち。ホームにも、人はまばら。さびしい感じがして、これを書いている。
明日はレンタカーで陸前高田へ。子どもたちにとっては、夏休み最後の日らしい。宿題はたくさんだされたのだろうか。たくさん残している子もいるだろうか?
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2010年6月10日

とりとめもなく、暴君ハバネロ

ブログとサイトとの使い分けが苦手です。どっちかがんばると、他方がおろそかになってしまう。
で、このブログ、4ヶ月半も更新しないままになってしまっていた。

私がもっと更新を頻繁にするためには、とりとめもないことを書くことの抵抗感をもっと下げないといけないのだろう。

ということで、とりとめもない話題を。

職場の売店でスナック菓子「最凶の暴君ハバネロ」をみつけた。従来の「暴君ハバネロ」とは比べ物にならないほどの辛さらしい。さらには「初心者が食べると痛い目にあうぞ!」とパッケージにある。

従来のものは食べたことがあって、そのときの印象は「たいしたことないじゃん」だった。ほんとかよ、どうせたいしたことないんじゃないの?と、まんまとその挑発にのって買ってしまった。

辛いもの好きな人、試してみる価値はあると思います。いやあ、汗かきましたよ。

ついでに、ブログのデザインを、「暴君ハバネロ」のものにしてみました。

2010年1月 6日

ちょっとおそくなりましたが、新年の挨拶を。

Happy New Year 2010
花には太陽を子どもには平和を
世界中の子どもたちが愛されていることを実感できる世界でありますように

私たち家族にとって、2009年はこんな年でした。

長男(4才) 「お兄ちゃん」と呼ばれるのが嫌で「無視」していた3才から、弟から「ニイニ」と呼ばれることを誇りに感じる4才、新しく何かができることに誇りをもてる4才になりました。

次男(1才)食べること、お兄ちゃんについて遊ぶのが大好きです。歩行もおしゃべりもしっかりしてきました。保育園のクラスでは月齢が一番小さいにもかかわらず大きな子にも立ち向かっているようです。

私(石原)(40才)苦渋の決断をして自立援助ホーム丸太の家を3月末で閉所しました。今も長野県内に自立援助ホームはなく、何かできることはないものか、、、/育児もがんばりました/研究では学童保育学会設立への取り組み、総力戦体制期の児童保護研究に着手、菊池俊諦研究の再開と「種をまいた」一年でした。今年は少年教護法成立過程研究のまとめと併せ「花を咲かせたい」です。

ツレアイ(34才)保育所保育士に転職。会議の多い職場で、育児との両立が大変だけど、楽しく働いています。今年は、実践記録をまとめたいと考えています。

夫婦として 忙しい両親でも我が子は保育園のおかげで健やかに育ち何より。だから保育を営利企業にゆだねる政策(残念ながらこの点で新旧の政権は同様のようです)に対し親として黙ってはいられませんでした。今年も黙っていられません。

今年もよろしくお願いいたします。

2008年2月29日

生まれました

25日の朝、二人目の子どもが生まれました。今回は「家族みんなで、おなかの子の誕生をむかえたい」ということで家族での立ち会い出産をしたい、そしてできるだけ自然分娩をということで、おしか助産院(静岡市駿河区)での出産を選びました。母子共に健康で、のぞみどおりの出産ができて、おしか助産院のみなさんに感謝します。

 上の子が生まれた上田市産院(長野県上田市)も、とてもいい産院でした。WHO・ユニセフ認定の「赤ちゃんにやさしい病院」(baby friendly hospital)としての指定をうけた病院で、助産師と医師との連携がすばらしい産院でした。しかし、医師不足のあおりをうけ、この産院もふくめ上田市(だけではありませんが)近辺では出産を支える体制がぐらぐらしてきています。上田市産院の存続の危機もあったのですが、ここで出産した母親たちの声がなんとか押しとどまらせているという状況のようです。各地で同様の問題が起こっています。

 私的な問題であり、同時に公共的な問題である出産。児童福祉に関する研究者として何ができるか考えていきたいと思っています。

 が、今日のところは、一人の父として乾杯です。(助産院に泊まっているつれあいと生まれたばかりの子と別れ、上の子と二人きりの寂しい夜二日目。上の子も寝て、一人になった時間に)。

2008年2月 8日

久々の歴史研究モード

 ここ数日、締め切りにおわれ、何度か徹夜をして、何度も読んだはずの資料を読み返しながら、論文を書いています。ブログも更新できなかった一因です。
 1933年に公布された少年教護法(後に児童福祉法に引き継がれる法律)の成立過程が対象です。これまでの研究成果では明らかにされていなかったことが書くことができそうです。書きながら、当時、少年教護法を成立させるために奮闘していた感化院(現・児童自立支援施設)の院長らの考えていたこと、行動したことが浮かんできて、ワクワクしています。
 40歳も近くなり、徹夜したりするような執筆活動は身体的には大変しんどいのだけれど、執筆に没頭したのが久しぶりなので、しんどさより研究の楽しさを感じています。自立援助ホーム丸太の家の運営や育児などもあって、歴史研究に没頭できないブランクがあっただけに、いっそう感じます。

2008年1月17日

カンニング中島さんの闘病

 夜中、偶然につけたテレビで、コメディアンのカンニング中島さんの闘病を追ったドキュメンタリーを見た。
 妻や息子のために生きようと白血病と闘った彼の生きざまがよく描かれていた。

 家族との時間を大切にしよう、限りある命の時間を大切にしよう、あらためて、そう思えた。

 中島さんが亡くなったとき、息子さんは2歳3ヶ月だったそうだ。その息子さんは今三歳。テレビに映るその姿は、わが子の姿と重なった。

2008年1月13日

ブログ再開にあたって

2年以上更新していなかったブログを更新します。
2年以上更新していなかった自分のサイトも更新しはじめました。

これまで更新できなかった理由は、余裕がなかった、これにつきます。

以下は、私と個人的なおつきあいがある方以外には、あまり意味のない内容だと思います。近況報告を兼ねて、更新できなかった時期、特に昨年度あたりの出来事などを箇条書きにしてみます。

2006年1月 NPO法人の代表理事より辞職願いを受け取る。副代表理事から代表理事代行(事務局長兼務)になる。
2006年2月 NPO法人が運営する自立援助ホーム丸太の家の児童指導員に。息子1歳。
2006年3月 丸太の家のホーム長(当時)が退職。運営存続のために奔走。
2006年4月 連れあいが丸太の家のホーム長に。家族総動員体制で丸太の家運営。
2006年5月 NPO法人の代表理事になる。
2006年5月~9月 丸太の家の移転にむけて、移転候補地の自治会長らと交渉。しかし、自治会からは最終的に反対される。
2006年11月~2007年2月 丸太の家ホーム長代行を兼務。週に3、4日の宿直。丸太の家の移転にむけて他の候補地での準備。
2007年2月 息子2歳に。父が亡くなり、3月末まで実家の愛知とを行ったり来たり。
2007年3月 丸太の家引っ越し。ホーム長代行を現ホーム長に引き継ぐ。長野大学退職。上田市の自宅を引き払うことができないまま静岡に引っ越し。

 こんなことを大学教員の仕事と兼務でやっていました。丸太の家の運営も、子どもたちとの関わりでは精神的にはものすごいエネルギーを使わないとやっていけませんでしたし、自宅にいてもいつ呼び出されるかわからない日々も辛かった。
 これを続けていたら過労死だと本気で思っていました。この間、大切な友人の結婚式も失礼してしまいました。手紙に返事を書くことも、メールの返信もまともにできない日々でした。数々のご無礼、もうしわけありません。

 今では、丸太の家も新しい体制と場所で、多くの人の協力を得ながら、軌道にのりはじめています。自宅の引っ越しもなんとか終わりました(かたづけは残っています)。もうすぐ父の一周忌で、こちらについても、ようやく落ち着けそうです。そこで、ブログやウェブサイトも更新再開をする気持ちになってきました。

 といっても、忙しい日々は続きます。3月はじめには、二人目の我が子の誕生を迎えることになりそうだからです。でも、この忙しさは、上記のような「もがきながら」という感じではなく、希望を抱きながらの日々です。

 今後ともよろしくお願いいたします。


2005年8月15日

育児という日常と「敗戦の日」

 わが息子、谺(こだま)くん、6ヶ月と15日にして、初めての高熱。
 なんだか、ボーッとしているなあと思い、体温をはかってみたら、38度を超えていた。
 育児書や子どもの発達と診断に関する専門書によれば、子どもは6ヶ月ごろになると、母親からの免疫が減り自ら免疫力をつけていくようになる。したがって伝染性疾患を患うことが増えてくる、とのこと。

 父親になり6ヶ月と15日。はじめての育児で、日常のなかの幸せがわかった。父親になる前のボクは、日常のなかに生きがいやがんばりがいを見つけることが下手だった。そんなことに気づいた、この半年だった。

 今日は、日本という国家が戦争に負けた日。ボクは、育児という日常を愛おしく思うようになったが、あらためて、日本を戦争をする国にしたくないな、と思うようになった。ボクの反戦、非戦、非暴力の思想は、頭でっかちのものから、より生活に根ざしたものとなったのかもしれない。

2005年7月 9日

NPO法人認証!!

 ボクも設立メンバーとして関わっている 「子ども・青年と共に歩む長野の会」では、長野県に特定非営利活動法人(NPO法人)として認証を申請していたが、ようやく昨日(7月8日)、設立認証書が届いた。
 2週間以内に書類をそろえて登記しなくてはならないとのこと。授業の合間をぬって、書類を準備するのは結構大変なことだけど、児童養護施設出身の子ども・青年の社会への巣立ちをサポートしようというこのNPOへの期待は大きいはず。身の引き締まる思いです。