2016年9月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
フォト

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

2008年1月25日

精神分析による視角

 特集「新自由主義」やその執筆陣の顔ぶれにひかれて『情況』2008年1,2月号を購入。まだ、パラパラと読んでいる段階だけど、、、。
 樫村愛子「インタビュー 新自由主義を精神分析する」が、精神分析とは何であり、精神分析が新自由主義を捉える視角はどういうものであるか、を端的に語っている。大変勉強になった。以下は、その箇所の引用。

「ーー新自由主義を始め、資本主義を推進していく側には一定の人間観がありますが、精神分析にも、それとは異なる人間観があると思われます。現代社会における様々な問題は前者の人間観が機能不全に陥っていることの現れだと思いますが、それに対して精神分析の持つ人間観はこうした諸問題を分析し相対化する契機や何らかの手がかりを与えてくれるのでしょうか。
樫村 精神分析は自己決定していくことの困難さを提示している理論です。人は他者に依存し、他者から自己が生まれてくるということを示し、教育や芸術や労働やケアの場面などで、転移や他者との関係を抜きに人間の変容や創造性が可能ではないことを示しています。新自由主義においては、人間関係がアトム化した個人と個人との関係のレヴェルでしか考えられていないのですが、そこに精神分析の人間観との大きな違いがあると思います。」(p.134)

 自分で自分を傷つけ貶める若者と共に生きようという姿勢をどうつくるか。自立援助ホームの支援姿勢にもかかわる問題。新自由主義が鼓舞する自己責任論を相対化する視点や視角をもっとうまく言語化できないと、この姿勢にならないと思っていたが、精神分析から学ぶことができるかもしれない。勉強してみよう。

2005年12月18日

『ないた』

 長新太さんの絵本を、0歳10ヶ月のわが息子がどう見ているかはわからないが、少なくともあの色づかいがお気に入りのようである。

 言葉づかいや一枚一枚めくる時の面白さは、まだわかっていないであろう。でも、長さんの本に、わが息子は飛びつく。ずりばいをするようになってからは、はっきりとした。

 この本の内容について、事前に情報は持ってなかった。長さんが絵を描いているということで、手に取ることにしてみただけだ。
 立ち読みして、すぐ引き込まれた。ぐっと涙をこらえた。買うことに決めた。
 
 人には、いろんな涙がある。そんなことを、あらためて考えさせてくれる絵本だ。
 読者が人生を重ね、新しい涙を知るたびに、この本は違って見えてくると思う。
 息子よ。いろんな涙がわかる人になっておくれ。
 父さんも、もっともっと、いろんな涙がわかる人になるように生きていくよ。
(中川ひろみち作/長新太絵『ないた』金の星社 、2004年)

2005年10月 2日

今川夏如『トモダチニナルタメニ』

 日本で生まれ育ち「生きるのが面倒だった」青年が、補習塾での「ガラの悪い」子どもたちと出会い、「障害者を持つ人たち」と出会い、アフガニスタンで暮らす子どもたちと芸術活動を通して出会う。この本は、そんな人々との出会いのなかで、著者である今川さんが自己形成の歩みを綴ったもの。と同時に、そうした出会いのなかで筆者が考えつづけてきた「人は何のために生きるのか」というテーマにも答えようとした本である。

 この本を読み終えて、私が感じた想いをまず率直に挙げてみたい。
 一、ひさびさに若い人たちにすすめたい本に出会った。(さっそく大学一年生とともに学ぶゼミでは、これを輪読することにした。)
 二、この本を書いた今川さんとトモダチになりたい。
 三、自分が教師をしている学校にきてもらって学生とともに話をききたい。
 こう書けばわかってしまうと思うが、この本は、私にとって自分の生き方をふりかえり、これからを考えるきっかけをくれた「お気に入り」の一冊となった。

 私が、この本を若い人たちと読みたいと思ったのは、こうして「自分」を語る今川さんの文章が、若い人にも「自慢話」として受け取られることがなく、また「自分とは違うすごい人」の話として片付けてしまわないだろうという感触をもったからである。それは、今川さん自身が若い世代の一人であるということもあるが(ちなみに、今川さんは奥付を読む限り、今も二〇歳代半ば)、なにより日本の若い世代の感性をよくつかんでいると思われたからである。本書の随所にでてくる( )で括った補足的な文章が示している。

 今川さんは、アフガニスタンで、子どもたちと出会い、人々の暮らしぶりを知り、戦争が日常となっている光景を目の当たりにするなかで「自分」を見つめなおすことを迫られる。そうした「自分」とは、心理学的な「自分」というよりも、このグローバル化した世界のなかで、いわゆる先進国で生まれ育ったものとしての「自分」であり、アフガニスタンやイラクへの戦争に荷担している日本で生まれ育った「自分」である。

 なぜ日本は軍隊を海外に派遣すべきではないのか、それは、私たちが戦争をする相手の国には、これからトモダチニナル人がいるかもしれないだ。あるいは、すでにトモダチニなった人がいるからだ。戦争と平和の問題を、そうした一人一人の出会いというレベルで、そして一人の青年が「自分」の問題として論じることができるようになったことに、平和な時代への一歩を感じた。

 追伸 私が泣いたところは、この本のタイトルとなっている「トモダチニナルタメニ」が登場するところ。細かい説明をすると、ネタバレしてしまうので、ここではこれ以上説明しないほうがいいだろう。この本を読んだ人なら、わかってくれると思う。

(今川夏如『トモダチニナルタメニ』新日本出版社、2005年)

2005年9月11日

円満字二郎『人名用漢字の戦後史』

 子どもの名付けに、夫婦で何ヶ月も考えつづけた結果決めた漢字が、戸籍上使えないということはわかった時、人名に使える漢字の少なさにびっくりした。
 なんでこんなに少ないんだろう?そもそもなんで制限されなきゃいけないの?読み方はなんでもありなのに、漢字はなぜ?子どもの名付けにこだわろうとする夫婦がぶつかる疑問に、ばっちり答えてくれるのが、この本。

「……そもそも名前の漢字制限はどのようにしてスタートしたのか。人名用漢字という制度はなぜ必要とされたのか。それが数次にわたって改訂されてきたのは、どのような事情によるものなのか。おのおのの改訂を後押ししたのは、いったいどういう力なのか。
 そういった歴史をたどっていくと、それぞれの時代が漢字に影響を与え、それに対して漢字が応えるようすが見えてくると、私は思う。そしてその中から、現代社会において漢字が持っている性格と、その果たしている役割が、見えてくるように思えるのだ。」(「まえがき」より)

 一見、マニアックとも思える歴史を、見事に再構成し、「現代社会において漢字が持っている性格」をおもしろく描き出してくれていると思う。

 ただ、残念なのは、本書のキー概念となっている「唯一無二性」については、筆者も使いこなせていない印象が残る事(この点については、より精緻な批判が必要だろうと思うので、後日、余裕がある時に論じなおしたい)と、それぞれの章のまとめが、苦し紛れに書かれている印象を受ける事だ。実際、まとめになっておらず、本論と同じ文章の反復がされているに過ぎない箇所が幾度もでてくる。

 とはいえ、人名用漢字をめぐる入り組んだ史実を、わかりやすく、おもしろく整理して見せてくれただけでも本書の価値はある。

(円満字二郎『人名用漢字の戦後史(岩波新書)』岩波書店、2005年)

2005年1月10日

佐々木淑子『サラサとルルジ』

 このファンタジー小説の存在を知ったのは、「作曲家」の藤村記一郎さんから、この本の「さし絵」を描いたと聞いたときでした。それから、ずっと気になっていたものの手にすることのないまま、気がついたら3年が過ぎていました。

 つい先日、久しぶりに藤村さんとお会いする機会があり、思いだし、ようやくインターネットで注文しました。

 読み終えた今、どのような言葉で、まだ、この本を紹介したら良いのかわかりません。今言えることは、この宇宙のなかにある、この地球、この花、出会い、一つ一つの命、、、これらのかけがえのなさを、この作品のように表現された佐々木さんに脱帽したということです。

 この本は夫婦で読みました。私たち夫婦からはじめて子どもが生まれようとする直前に、この本から、<キセキ(奇跡)としての命>という捉え方を知ることができたことに感謝したいです。

 この作品を原作にしたミュージカルが6月4日5日に愛知で初演になるとのこと。藤村さんがつくるメロディーがこの作品にどう響くのか、楽しみです。(続く)
(佐々木淑子『サラサとルルジ 第一部<水鏡の星>』かまくら春秋社、2001年9月21日。同『サラサとルルジ 第二部<花咲き星>』かまくら春秋社、2001年10月21日)

2005年1月 7日

草下シンヤ『裏のハローワーク』

 深夜に入ったコンビニでタイトルが気になり手にした本。パラッと開いてみると、長年、噂では聞いたことある「怪しげ」な仕事(働いている人が「怪しげ」のではない、噂につきまとう「怪しさ」にすぎない)、例えば、「マグロ漁船乗組員」「治験バイト」「原発作業員」「夜逃げ屋」が並んでいる。「新聞拡張員」のように実際接したこともある職種から、噂で聞いたことがあるだけの仕事まで並んでいて、興味をそそられた。

 買ってみることにした。いずれの仕事についても、その仕事を経験した人へのインタビューをもとに書かれたもの。違法性のあるものも含めたウラ世界をオモテ世界で表現しようとするわけだから、取材も簡単ではない。取材をする側と応じる側の関係性も表現されていて、面白い。

 ところで、気楽に読める本として買ったものだったが、特に「臓器ブローカー」の章でそうはいかなくなった。この本を読む直前に読んだ本が、アグネス・チャン『小さな命からの伝言』だったからである。『裏の〜』では、臓器を売り買いするブローカーから見た世界が描かれているのだが、『小さな〜』では臓器まで売らなければ生きていけない側の世界が描かれている。この2冊をこの順番で読んだのは偶然であるが、こんなことがあるのも読書の醍醐味なのだろう。

 どんなに「罪深い」ことでも人間は分業することによって、それを背負う重さを軽くしてしまえる存在なのだと実感。「第三世界」との分業が、どれだけ私たちが背負った「罪」を軽く感じさせているのか、考えさせられる。
(草下シンヤ『裏のハローワーク』彩図社、2004年6月13日)

2005年1月 5日

アグネス・チャン『小さな命からの伝言』

 この本は、子どもたちとの出会いのなかで生きてきたアグネスさんが、「世界中で、叫ぶことさえできない子どもたちから託された伝言」(まえがき)を、多くの人に伝えるために書かれたものである。

 ボランティアや日本ユニセフ協会大使として、飢餓、人身売買、買春、エイズ、戦争・紛争による戦禍のなかで暮らす子どもと出会い、彼女は、戸惑い、無力感、憤り、怒りを感じ、苦しむ。しかし、それでも彼女は、子どもたちとの出会う旅を続ける。

 テレビでも、海を越えた地での難民の生活や飢餓に苦しむ子どもたちの姿は映し出されている。しかし、日本で住所のある暮らしをしている者にとっては、それを「実感」として受け止め、それを持続させることは難しい。この本の良さは、いわば「恵まれた」立場で暮らしている私たちが、こうした問題をどう考え行動するのかというテーマに、まともに応えようとしている一人の大人と出会えるところにあると思う。

 子どもたちが直面する現実はあまりにも酷い。眼をつぶりたくなるような現実ばかりである。しかし、この本が描くのは絶望ではなく、希望である。「そこに子どもがいる限り希望がある、未来はある」という彼女はいう。

 漢字には読みがなもふられている。読書が食わず嫌いの人にとっても読みやすい文章で量も少ない。小学生高学年から読める本である。しかし、この本は、子どもだけではなく日本に住む大人にこそ読んでほしい。アグネスさんが出会った子どものなかには、日本政府が支持した戦争によって今も戦禍に巻き込まれている子どもがいるのだから。
(アグネス・チャン『小さな命からの伝言』新日本出版社、2004年12月20日)