カジダン/イクメン
静岡市女性会館アイセル21で、2009年6月20日から29日まで、カジダン・イクメン写真展が開かれているというニュースをテレビで見た。恥ずかしながら、カジダン・イクメンという言葉、この時、はじめて知った。カジダン=家事をする男性、イクメン=育児をするメンズ、のことらしい、、、。そうだとすると、ボクはカジダンでイクメンということになるのだが、どうも違和感が。この違和感は、なんだろう?
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静岡市女性会館アイセル21で、2009年6月20日から29日まで、カジダン・イクメン写真展が開かれているというニュースをテレビで見た。恥ずかしながら、カジダン・イクメンという言葉、この時、はじめて知った。カジダン=家事をする男性、イクメン=育児をするメンズ、のことらしい、、、。そうだとすると、ボクはカジダンでイクメンということになるのだが、どうも違和感が。この違和感は、なんだろう?
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仕事場(研究室)のパソコンのスピーカーは、タイムドメイン理論にもとづいて作られたスピーカー。ラグビーのボールのような、ちょっと変わった形をしていて、左右の両端にそれぞれ外向きにつけられたスピーカーユニットがついている。
こんな形?で、この値段で、いい音がするのだから不思議。特に、小さな会場で録音したライブ音源はびっくりするほどリアル。前後の音像定位がとても良く、小さな音がしっかり聞こえてくるからだと思う。ズンズンとした身体に響くような低音を求めることはできないけれど、見た目とは違い、しっかりと低音も出るから、これまた不思議。安くて、いい買い物をしました。
気に入ったので、自宅用にも買ってしまいました。
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研究室に、新しいMacMiniとTimeMachineを導入して一ヶ月ほどがたった。
覚え書き程度の印象を箇条書きで。
MacMini (プロセッサ2.26GHz Intel Core 2 Duo,メモリ4GB) テキスト処理とウェブブラウズが中心なので、なんのストレスもなく処理してくれる。満足。
OS(MacOS 10.5.7) 附属のMail.appとiCal.(カレンダー)との連携がすごくいい。本文中にある「○月○日○時○分」というあるあたりにカーソルを持っていくと、選択するだけでiCal.への入力ができる。ちょっとした手間が軽減されるだけなのだが、これがあるとマメにiCalにスケジュールが入力できる。iphoneとの連携もできるというから、これはiPhoneを買ってしまいそうだ。spacesという機能もいろいろなソフトを同時に使いながら作業するにはとても便利だ。
TimeMachine 「どこでもMyMac」という機能が便利だと考えて(自宅でも研究室のバックアップファイルの読み書きができることを期待)、購入に踏み切ったのだが、この設定が全くうまくできない。設定の問題なのか、大学での接続環境では使えないのか、ファームウェアの問題もあるとの情報もあるようだし、どうにもならない。他にも、このハードウェアそのものがMacMiniに認識されないようなことがしばしば起こり、設定変更ができないときがある。はっきりいって、金かえせという気持ち。
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ひさびさのブログ。今川夏如さんのブログで、このブログがリンクされていることを知り、やっぱり再開しなくてはと書き始めました。
昨日(2009/6/7)は、静岡の「子育て・保育の集い」(於/清水テルサ)に参加。静岡県下の保育園の父母や保育士の集いである。
午前は分科会。私が出席したのは、社会保障審議会少子化対策特別部会(大日向雅美部会長)の考えている「新しい保育の仕組み」について考えようというもの。この「仕組み」が実施されたら、保育所や保育実践はどうなってしまうのか、講義とシミュレーション紙芝居が行われた。とても、わかりやすかった。
介護保険がモデルとなっているという、この「仕組み」。その詳細は、これから検討されるというのが「たてまえ」となっているので、保育実践にどのような影響がでるのかは、詳細はわからない。しかし、例えば、保育所によっては、オムツかえを<随時>か<定時>のどちらを選ぶかということが保護者の契約項目となるかもしれないというのは、説得力があるシミュレーションだった。同じクラスの、ある親の子は<定時>のオムツかえ、別の親の子は<随時>のオムツかえなんてことになるのだろうか。それを、保育者が使い分けなくてはならないなんてことになるのだろうか。オムツが汚れ泣いている子を「この子は<定時>のオムツかえの契約だから」と、その<定時>がくるまで待たなくてはならないとすれば、それは、良心的な保育者にとってどんなに苦しいことだろう。この「仕組み」のもとでは、契約をただただ守る、それがよい保育者ということになるのだろうか。
「悪い方に考え過ぎだよ」と言われそうだ。しかし、本当にあと何年かたって本当に「悪い方に考え過ぎだった」と振り返ることができるだろうか。「やっぱりその通りになったじゃないか」と振り返ることになるのだろうか。やっぱり僕は、この「新しい保育の仕組み」には反対だ。
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先日、同僚の教員たちから「浜松は楽器の街だからか、浜松出身の学生はピアノを習っていることが多い」という話を聞いた。そのときは、特にさほど気に留めずにいたのだが、最近、お気に入りのジャズピアニスト上原ひろみさんの出身が浜松だと知り、こういう優れたピアニストの誕生に、こういう地域の雰囲気が関係しているとすれば、すごいなあと思うようになった。
ちなみに、最近、良く聞いているのは、上原ひろみ"Another Mind"、そのなかでも特に"Dancando No Paraiso"がいい。身体のなかからノッてくるという感じがぴったりくる。
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25日の朝、二人目の子どもが生まれました。今回は「家族みんなで、おなかの子の誕生をむかえたい」ということで家族での立ち会い出産をしたい、そしてできるだけ自然分娩をということで、おしか助産院(静岡市駿河区)での出産を選びました。母子共に健康で、のぞみどおりの出産ができて、おしか助産院のみなさんに感謝します。
上の子が生まれた上田市産院(長野県上田市)も、とてもいい産院でした。WHO・ユニセフ認定の「赤ちゃんにやさしい病院」(baby friendly hospital)としての指定をうけた病院で、助産師と医師との連携がすばらしい産院でした。しかし、医師不足のあおりをうけ、この産院もふくめ上田市(だけではありませんが)近辺では出産を支える体制がぐらぐらしてきています。上田市産院の存続の危機もあったのですが、ここで出産した母親たちの声がなんとか押しとどまらせているという状況のようです。各地で同様の問題が起こっています。
私的な問題であり、同時に公共的な問題である出産。児童福祉に関する研究者として何ができるか考えていきたいと思っています。
が、今日のところは、一人の父として乾杯です。(助産院に泊まっているつれあいと生まれたばかりの子と別れ、上の子と二人きりの寂しい夜二日目。上の子も寝て、一人になった時間に)。
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ここ数日、締め切りにおわれ、何度か徹夜をして、何度も読んだはずの資料を読み返しながら、論文を書いています。ブログも更新できなかった一因です。
1933年に公布された少年教護法(後に児童福祉法に引き継がれる法律)の成立過程が対象です。これまでの研究成果では明らかにされていなかったことが書くことができそうです。書きながら、当時、少年教護法を成立させるために奮闘していた感化院(現・児童自立支援施設)の院長らの考えていたこと、行動したことが浮かんできて、ワクワクしています。
40歳も近くなり、徹夜したりするような執筆活動は身体的には大変しんどいのだけれど、執筆に没頭したのが久しぶりなので、しんどさより研究の楽しさを感じています。自立援助ホーム丸太の家の運営や育児などもあって、歴史研究に没頭できないブランクがあっただけに、いっそう感じます。
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特集「新自由主義」やその執筆陣の顔ぶれにひかれて『情況』2008年1,2月号を購入。まだ、パラパラと読んでいる段階だけど、、、。
樫村愛子「インタビュー 新自由主義を精神分析する」が、精神分析とは何であり、精神分析が新自由主義を捉える視角はどういうものであるか、を端的に語っている。大変勉強になった。以下は、その箇所の引用。
「ーー新自由主義を始め、資本主義を推進していく側には一定の人間観がありますが、精神分析にも、それとは異なる人間観があると思われます。現代社会における様々な問題は前者の人間観が機能不全に陥っていることの現れだと思いますが、それに対して精神分析の持つ人間観はこうした諸問題を分析し相対化する契機や何らかの手がかりを与えてくれるのでしょうか。
樫村 精神分析は自己決定していくことの困難さを提示している理論です。人は他者に依存し、他者から自己が生まれてくるということを示し、教育や芸術や労働やケアの場面などで、転移や他者との関係を抜きに人間の変容や創造性が可能ではないことを示しています。新自由主義においては、人間関係がアトム化した個人と個人との関係のレヴェルでしか考えられていないのですが、そこに精神分析の人間観との大きな違いがあると思います。」(p.134)
自分で自分を傷つけ貶める若者と共に生きようという姿勢をどうつくるか。自立援助ホームの支援姿勢にもかかわる問題。新自由主義が鼓舞する自己責任論を相対化する視点や視角をもっとうまく言語化できないと、この姿勢にならないと思っていたが、精神分析から学ぶことができるかもしれない。勉強してみよう。
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僕が使うAppleのノートパソコンは、よく故障する。
夏休み前に備品として購入したMacBookは、使い始めてしばらくすると[i][k][8]等のキーが反応しなくなった。たまにしかその症状がでてこないので直ったかな?と思うと大事なときに症状がでるという繰り返しだった。この症状が頻発するようになったのでようやく12月に修理に出した。すぐに直って戻ってきたのはよかったのだけど、しかし、それから一ヶ月もしないうちにまた故障。今度は、全く起動しなくなった。で、明日修理に出すことに。
OSについては、WindowsよりもMacOSが気に入っている。特にMacOSは、10.3以降大変気に入っていて、起動や検索も速いし、なにより安定している。標準のメールや画像処理ソフトもすごく使いやすい。ワードやエクセルも使えるからWindowsで仕事をしている人たちとのやりとりにもほとんど困らない。だから、本当はAppleのパソコンをメインにしたいのだけど壊れるので、結局Windowsがのったパソコンがメインになってしまう。今は、共同研究の関係でサブマシンのつもりで使うことになっていたpanasonicのLet'sNoteがメイン。
1~2年ぐらい前はAppleのibookG4を使っていた。これも故障が多かった。買ってしばらくすると、液晶の真ん中あたりの色が白くなってきたので交換に。その後数ヶ月は何ともなかったが、ある日、会議でメモをとっていたら火花がでて起動できなくなった。ロジックボード交換。修理からもどってきて2ヶ月ぐらいしたらまた同じような症状がでた。このときは1年間の保障期間をすぎていたので、修理するのをあきらめた。で、その前に使っていたWindowsXP proがのったThinkpadX30をメインマシンに戻した。
ウィンドウズのマシンをしばらく使っていると、やっぱりMacOSXが使いたくなり、Appleのパソコンを買う。MacBookにしたのは、これだった。それなのに、しばらくするとAppleのパソコンは壊れて、Windowsのパソコンを使うことになる。そんなことを繰り返しているここ数年。
いいかげん、Appleに見切りをつけたらと何度も周りの人にいわれ、自分でもこりごりと思うのだけど、やはりOSはMacがいい。ハードを選ぶことができたら、、、本当にそう思う今日この頃。
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夜中、偶然につけたテレビで、コメディアンのカンニング中島さんの闘病を追ったドキュメンタリーを見た。
妻や息子のために生きようと白血病と闘った彼の生きざまがよく描かれていた。
家族との時間を大切にしよう、限りある命の時間を大切にしよう、あらためて、そう思えた。
中島さんが亡くなったとき、息子さんは2歳3ヶ月だったそうだ。その息子さんは今三歳。テレビに映るその姿は、わが子の姿と重なった。
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